マリエ1とマリエ2は、姉妹と偽り、男たちを騙しては食事をおごらせ、嘘泣きの後、笑いながら逃げ出す。部屋の中で、牛乳風呂を沸かし、紙を燃やし、ソーセージをあぶって食べる。グラビアを切り抜き、ベッドのシーツを切り、ついにはお互いの身体をちょん切り始め、画面全体がコマ切れになる。ヒティロヴァーがカメラマンのクチェラや美術・衣装のクルンバホヴァーと共に、色ズレやカラーリング、実験的な効果音や光学処理、唐突な場面展開など、様々な映画的実験を行う。音楽や部屋の装飾、衣装などのセンスも抜群で60年代的な自由さに満ちあふれている。
1989年までの社会主義時代、すべての映画が国家予算で作られていたため、国会で予算の無駄遣いと批難されるが、『ひなぎく』は労働者向けの上映会でも大受けで、作家のミラン・クンデラも擁護し、1968年のプラハの春を準備したとも言われる。
チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグはプロの俳優を使わず自由な演技をさせるという特徴を持つが、マリエ1とマリエ2も演技経験の全くない素人で、一人は帽子店の店員、一人は学生だったという。スタッフや関係者が出演することも多く、マリエ達がトイレで出会う背中のあいたドレスの女は、衣装デザイナーのヘレナ・アニージョヴァーで、彼女はイレシュ監督『闇のバイブル』では祖母役を演じたうえ、ヘルツ監督の『火葬人』にも出演し、シュヴァンクマイエル監督の『ルナシー』にも櫛を持つ老婆で出演しているが、イレシュ監督の『受難のジョーク』では本業の衣装を担当している。また有名な音楽家ヤン・クルサークは個性的な俳優でもあり、メンツル監督もヒティロヴァー監督の『りんごゲーム』に主演するなど60年代の映画人は相互交流が盛んだった。
*ベルギー映画批評家協会賞、フィンランド映画批評家協会賞、ブリュッセル国際映画技術大会、三葉虫映画祭(ヴェラ・ヒティロヴァー、ヤロスラフ・クチェラ)、1966年最も成功した映画主導賞(ヤロスラフ・クチェラ)、ベルガモ国際映画祭グランプリ
監督紹介
ヴェラ・ヒティロヴァー(Věra Chytilová 1929年2月2日~2014年3月12日)
チェコのオストラヴァ生まれ。ブルノ工科大学で建築を学び、モデルから映画の端役になり、映画の記録係としてバランドフ映画撮影所で働き、1957年から1962年までFAMU(国立プラハ芸術アカデミーの映画学部)で映像演出を学ぶ。1962年FAMUの卒業制作として撮られた短編『天井』と、『一袋分の蚤』が劇場公開され国内外の映画祭で高い評価を受ける。長編第1作『違う何か』はマンハイム国際映画祭でグランプリを受賞。1963年にカメラマンのヤロスラフ・クチェラと結婚し、1965年『水底の小さな真珠』(フラバル原作のオムニバス映画)、1966年『ひなぎく』、1969年『楽園の果実』とクチェラと共に作品を作る。
国際的な名声とは裏腹に1970年以降政府は映画撮影の許可を出さず、アメリカの映画祭での『ひなぎく』の上映も認めなかった。ヒティロヴァーは1975年にフサーク大統領に公開書簡を送り、翌年それがイギリスの雑誌に載ると1976年に『りんごゲーム』(イジー・メンツル出演)の撮影許可が降り、同作はシカゴ国際映画祭で銀ヒューゴ賞を受賞する。1987年『道化師と女王』でチェコ文学基金賞などを受賞。チェコスロヴァキアの初代大統領(『解放者マサリィク』)やモーツァルト(『私を認めたプラハ市民』)、クルンバホヴァー(『エステルを探して』)などのドキュメンタリー映画もあり、2009年の『虐められた愛』まで作品を撮り続ける。FAMUで教え、チェコ映画のファーストレディーと称される。フランス芸術文化勲章や、チェコの功労勲章、芸術貢献賞も授与されている。
©:State Cinematography Fund
『ひなぎく』へのコメント
岡崎京子(マンガ家)(1995年のコメント)
2人の女の子。2人はこの世の無用の長物で余計ものである。そのことを2人は良く分かっている。役に立たない無力な少女達。だからこそ彼女達は笑う。おしゃれする、お化粧する、男達をだます、走る、ダンスする。遊ぶことだけが彼女達にできること。愉快なばか騒ぎと絶対に本当のことを言わないこと。それが彼女達の戦闘手段。やつらを「ぎゃふん」と言わせるための。死ネ死ネ死ネ死ネ!分かってるよ。私達だって「生きて」いるのよ。
矢川澄子(詩人)(2000年のコメント)
〝ひなぎく〟のあたらしさ「美のためには食を拒んで死ぬことさえできる、おそるべき精神主義者たち」と、かつてわたしはある少女論にかこつけて書いた。少女にとって、この世にこわい権威は何もない。体制側のヤボなオジさんたちとは、はじめから完全にちがう倫理の下で生きているのだから。そう思いつつ二人のハチャメチャぶりを見ていると、最初と途中に出てくる「鉄」のイメージや終わり方がいかにも象徴的に思えてきた。それにしても六〇年代のさなか、こんな皮肉な映画がカーテンの向こう側で生まれていたとは。チェコの映画人のしたたかさに、あらためて脱帽させられる。
野宮真貴(ミュージシャン)(2000年のコメント)
この映画のふたりの女の子は何だか涙が出るほど自由に生きている。可愛い服を着て、おいしいものをご馳走してもらって、ダンスをして、いつも笑って…。「ひなぎく」ほど悲しいくらい美しい映画は他にはないと思う。
鴻上尚史(劇作家・演出家)(2000年のコメント)
彼女達は、無敵である。若く、美しく、スタイルがよく、センスがいい二人の女性に誰が勝つことができよう。だが、無敵である一番の理由は、彼女二人を、誰も理解していないことである。無敵であることの、なんと華やかなことか。そして、なんと淋しいことか。
Kiiiiiii(U.T.&Lakin’/ミュージシャン)(2007年のコメント)
私たちダメ人間。そのうえいつも忙しい。もっと易しい人生を考えなくちゃ。私たちになにが欠けてる?死ネ死ネ死ネ死ネ!とてもだめだわ。だめでも行こう。ビフテキ食べたい。…そんなひなぎく諸先輩方、おかげさまでわたしたちもなんとか、生きてる生きてる生きてる生きてる、生きまくっております。
江口宏志(ブックショップ『UTRECHT』代表)(2007年のコメント)
久しぶりに「ひなぎく」を見て、マリエとマリエが現代への接点を持ち続けていることに驚いてしまった。こんなことを書くと、何年後かは笑われてしまうかもしれないけど、二人のメイクは『さくらん』の土屋アンナみたいだし、部屋中の紙を切り刻み、あげく画面までも切り刻むシーンは、楽器の他に、身の回りの道具をパーカッションやノイズとしてコラージュのように使い、独特の音楽を奏でる、アメリカ人の姉妹デュオ、ココロージーだってきっと大好きなはずだ。パーティ前のテーブルに乗っかって、食べ物を投げ遊ぶ二人を見れば、松本人志の演じるキレキャラ、四万十川料理学校のキャシィ塚本をどうしても思い出してしまう。ひなぎくの二人が蒔いた種は、40年以上経った今日もどこかで花を咲かせているのだろう。
ヴィヴィアン佐藤(美術家/ドラァグクイーン)(2014年のコメント)
岡崎京子、ピチカート・ファイヴなど90年代日本の渋谷系ポップカルチャーの源流がどうして60年代のチェコにあるのかしら??? このいままで当たり前で不可思議だったことが、ようやく理解出来る時代になってきたのかもしれないわね。戦争や経済とかマッチョの裏側に湧き出る「カワイイ」の源流を遡行するピクニックに、そろそろ出発いたしましょうか。
まつゆう*(クリエイター/ブロガー)(2014年のコメント)
可愛いと思わないところが見つけられない!レトロでロリータキュートな女の子の鉄板ムービー。
真魚八重子(映画評論家)(2014年のコメント)
映画も、時代とともにテーマや演出が古びることはある。しかし『ひなぎく』だけはいつ見ても変わらぬ美貌で、いたずらっ子なまま存在し続ける映画だ。いま十代のお嬢さんたちには、是非本作に出会って斬新さに見とれてほしい。そして昔10代だった人たちも、この映画がいまだ乙女の瑞々しい可愛らしさを、傲慢なほど放っていることを妬んでほしい。永遠に散ることを知らぬ、アヴァンギャルドなひなぎくの花!
小泉今日子(女優)(2017年のコメント)
20年くらい前に、パリのfnacで見つけた「Daisies」のDVD。どこの映画か、なんの映画か、さっぱりわからなかったけれど、パッケージのデザインがポップでキュートで一目で気に入り、いわゆるジャケ買いをした。映画はお洒落で斬新で大好きな世界観。「すごい映画を見つけたよ!」と友達に貸しまくったことを覚えている。その数年後『ひなぎく』という邦題で日本のDVDショップにも並んだ。もちろん日本版も購入し何度も何度も見た映画。その頃、テレビの旅番組の企画があり、どこに行きたいかと聞かれた私は迷わず「チェコ!」と大きな声で答えた。企画は実現し、マリエみたいな1960年代風ファッションでチェコの街を私は歩いた。ヒティロヴァー監督がどんな気持ちであの映画を作ったのかを考えながら、侵略され続けた歴史を持つチェコの街を私は歩いた。『ひなぎく』が女の子達に勇気や元気を与えてくれる理由が少しわかった気がした。いつの世も女の子達は心の中で小さな反乱を起こす。そして颯爽と、悪戯に、スカートを揺らして街を歩くのだ! 1966年に製作された『ひなぎく』と私は同じ年。51歳になった私はもう女の子ではないけれど、今を生きる女の子達にも勇気と元気と反乱を胸に、颯爽と世の中を闊歩して欲しいと願っています。